資料NO. :  51
資料名  : 第30回綱・清ら・エイサー祭り
制作者  : R.M.さん(千葉県連絡会)
制作日  : 2004年9月16日
 9月12日(日)、大阪のなかに沖縄の風が吹きぬける街、大阪・大正区の千島公園グラウンドで開催された「綱(ちな)・清ら(ちゅら)・エイサー祭り」を観てきました。










 1975年に始まった祭りも、今年で30回目を迎えました。その記念として、400年の伝統を誇るという大綱曳きをこの地に招くことになり、実際に沖縄南部の与那原町から全長90m、重さ5tの綱が運び込まれました。
 東と西に分かれ、東方に「国豊」、西方に「民栄」と書かれた旗頭を先頭に、うねりながら綱が入場。2本の綱がゆっくり進む間に盛り上がりも最高潮に。
 「かぬち棒」で両者が結ばれると、いよいよ綱曳き開始です。ドラや鐘の音、掛け声などが飛び交うなか、観客入り乱れての東西の綱の引っ張り合いです。
 2回戦で行われ、東西が1勝1負ずつで勝負を分け合いました。

もちろん、これまで通り地元関西や、沖縄、東京などから駆けつけたエイサーグループによる踊りも披露。クイチャーやカチャーシーは観客も一緒になって踊り、それぞれに「沖縄」を満喫した1日になったことと思います。


(関連) http://www.okinawatimes.co.jp/day/200409131300.html#no_7
       http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2004/2004_09/040913m.html


 さて、この大綱曳きを目玉として例年以上の観客が詰めかけ、イベント的には大成功を収めた今年のエイサー祭り。30回を重ねて続いてきたことに対するお祝いと敬意を表したい気持ちの一方で、この盛り上がりの渦中にありながらそれに一体化することをよしとせず、何か複雑なものを感じている自分が、一方にはありました。

 関西に生きる沖縄人がお互い励まし合って沖縄差別をはね返し、誇りを持って「沖縄」を表現しようという、言わば自己確認、自己解放の闘いの結晶として始まった、大正区のエイサー祭り。「三線を押し入れの中で弾いた」という話に代表される、沖縄文化が蔑みの視線で見られていた時代にあっては、関西の地で三線を奏でエイサーを踊るという行為自体が、ヤマト社会と真っ向から対峙し、ヤマトゥンチュへの問いかけとしての意味を持つものであったことでしょう。


 しかるに、「沖縄ブーム」が定着するなか、多くのヤマトゥンチュが自らを問うことのないまま「沖縄が好き」「沖縄文化を楽しみたい」と、言わば口当たりのいいものをつまみ食いするかの如く集まってくる現状を見るとき、今の祭りのスタイルのままでは、担い手側の思いとは関係なく、そういう人々を満足させるだけの「ショー」としての性格を強めざるを得ないのでは、という気がしてなりません。ちょうど「冬ソナ」をはじめとする「韓流」ブームの広がりが、過去の歴史認識の深化や、今も続く朝鮮蔑視、在日コリアン差別などの問題解決の糸口には100%、いや500%なり得ないのと同じように。

 今年はパンフレットの中に、沖国大へのヘリ墜落に抗議するチラシや、「『沖縄大好き』なあなたに知って欲しいこと」と題するチラシがはさみ込まれ、また主催者からも一言ですが、ヘリ墜落や辺野古新基地建設を憂い、文化だけでない沖縄の姿を見て欲しい、という発言がありました。
 来年からはより一歩進めて、祭りのプログラムのなかに反差別、反基地の闘いに取り組む個人や団体の発言の機会を設けるとか、会場を取り巻くテントの一角にそのような趣旨の展示を行うなどして、多くの観客にエイサー祭りと反差別、平和を結びつけて考えてもらう機会をつくることを提案したいと思います。そうすることが、エイサー祭りの原点や志を大切にすることにつながると、私は思います。


 なお、私は今回も会場周辺で署名を集めるべく、本部席へ行って了解を求めたところ、残念ながら認められませんでした。「百万人署名の者ですが・・・」と切り出した瞬間、「ダメダメ、そういうの困るんだよね。事前に連絡もなく突然来られても対応できない」。周辺でもダメかと押してみましたが受け入れられず、署名集めは断念せざるを得ませんでした。昨年も同じように本部席に相談し、会場の外でならということで了解いただけたのですが、今回の対応は、とにかく残念の一言に尽きます。

 

掲載:2004/09/18

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